バイクと私 5 〜後継者街道を突き進む〜
無残な姿になったバイクは、トランスポーターで工場へ。
ボロボロになった私は病院へ…行けませんでした。
当然翌日はお仕事。
大事な商談もあったので、休むわけには行きません。
私用で迷惑はかけられない。そういう時代でした。
仕事の合間に病院で診てもらうと、右肋骨骨折と全身打撲で、安静を命じられました。
しかし、仕事優先と教えられていましたので…
年明けレースにバイクは間に合いましたが、怪我と恐怖心からまともに走れず、ひどい結果となってしまいました。
とはいえ、喉元過ぎればなんとやらで、海へ山へサーキットへと懲りずにバイクライフをエンジョイしておりましたが、ディーラーを卒業して実家に戻ることとなりました。
数年が過ぎて丁稚奉公状態の私も、少しずつ責任のある仕事を任せてもらえるようになりました。
地位も少し上がり、ようやく結婚話もで初めて、しがらみという蜘蛛の糸に、ぐるぐると巻かれはじめた頃でした。
業界の用事が多くなりはじめた仙台は、会社を空ける時間が増えて行きました。
両の手の指では足りないほどの社員数。
超零細企業で最終決定権者不在とは出来ず、必然的に私が代行するようになっていきます。
ほぼ現場オンリーだった仕事も、事務仕事から接客対応、交渉ごとや管理まで回ってきました。
どうやら、後継者街道を歩きはじめたようです。
日に数台の作業をしていればよかったスケジュールが、一気に時間刻み分刻みに。
肉体労働から、精神労働に急転換。
私の代行者はいませんので、休むことなんてもってのほか。
余裕が全くない日々に、目の前にあるバイクが少しだけ遠く感じました。
つづく