バイクと私 2 〜カミナリ族の遺伝子〜
私の父は、「カミナリ族」でした
本人から聞いたことはないのですが、母からよく聞かされておりました。
今から半世紀以上前、バイクに乗っているだけでそう言われていた時代なので、仕方ないです。
当時アパートに停めてあった「メグロ500」が倒れると、タクシー会社に務めていた父の元に大家さんから
「バイクが倒れてガソリン漏れているから起こしに戻ってこい」
というお叱りの電話がよくかかってきたそうです。
私の記憶にはないのですが、バイクのタンクにまたがっている生まれて間もない私が写った写真があります。
きっとこの時にバイクに目覚めたのかもしれません。
当時子供の頃に好きだったテレビ番組は、仮面ライダーやキカイダーのようなバイクが出てくるのものばかり。
今でもその名残が私の机の周りにあるたくさんのフィギュアたちとなって残っています…
話が脱線してしまいました…
中古の「HONDA HAWKⅢ」
中学生になる頃には、部屋には参考書よりもバイク雑誌が多く、勉強もせずに読みふけっていました。
友人が一人また一人と免許を取り、バイクを手に入れて行く姿を羨ましく思い、「自動車整備工場の息子だし…」と親を説得し、教習所に通って中型二輪免許を手にしたのは高校二年生の時でした。
真夏の工場で必死にバイトして手に入れたのが、中古の「HONDA HAWKⅢ」
しかし、初めてのツーリングで単独事故を起こして大破してしまい、アッシは右ひざをやってしまう失態。
怒られるのが怖くてバイクをそっと隠し、バレーボールのように腫れ上がった右膝も隠していたのですが…すぐにバレました。
病院に連れて行かれて即手術。
入院こそしなかったものも結構な重症。
それなのに、それなのにもかかわらず包帯でグルグル巻きとなった右足を投げ出し、バイク雑誌をパラパラと眺めていると、鬼の形相をした母親が仁王立ちしておりました。
「お前はまたバイクに乗るつもりかぁぁぁぁ」
当然の鉄拳制裁が、ゴツン!と。
怪我した膝より頭が痛かったです。
しかし、こんなことではめげることなく、コツコツをバイクを修理して再び乗り始めるのでした。
続く